不動産屋の気になるNEWS! 「畳」を調べてみた!日本伝統の畳を残そう不動産屋の気になるNEWS! 「畳」を調べてみた!日本伝統の畳を残そう | センチュリー21グローバルホーム
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不動産屋の気になるNEWS! 「畳」を調べてみた!日本伝統の畳を残そう
「畳」を調べてみた!
日本伝統の畳を残そう
ふとした話から「畳」について考えてみた・・・
毎月税理士さん、弁護士さん、不動産鑑定士さん、司法書士さん、宅建士の我々で様々なネタやご相談いただいた案件を持ち寄り、解決策や対応方法を考えたり、また事例研究などを行う定例勉強会をしているのですが、その中の雑談で明治6年に創業されて、今年で150年になる畳店の店主から、「この畳店を継ぐ人間もいないけど、ここまで伝統を守ってきた老舗としてこの商号だけでも何とか残せないものかなぁ」という相談を受けたんだけど・・・という話が出ました。
私も長く住宅を販売したり、建築したりという仕事をする中で、昔はよく1階のリビングに和室を隣接させたいという希望をおっしゃるお客様が多かったのですが、最近は和室を希望される方は少なくなって、分譲住宅でも洋室のみの家も多くなり、確かに畳って減ったよなぁと思いました。
実際我が家にも1階に和室があり、家を建てた頃は子供も生まれたばかりで「ごろん」とさせられる、また客間として、また、祖父の形見でいただいたとても立派な火鉢があり、これでイカでも炙りながら酒でも飲んで・・・と思って和室を作りましたが、「ごろん」としていた子供はすぐに大きくなり、客も来ず、室内で炙ると一酸化炭素中毒になると叱られ、ほとんど利用することも無くなり、今では猫の爪とぎと備蓄倉庫代わりに・・・。
毎月このコラムに何を書こうかなぁとネタ探しをする日々の中、畳って当たり前って思っていたけどそうやってなくなってしまうのは悲しいなぁ・・・と思い、時事ニュースではないですがちょっとだけ畳の魅力や歴史などを調べてみた!ということでお届けしたいと思います。
畳の歴史
畳はいつごろからあったのでしょうか?調べてみると古くは縄文時代、竪穴式住居に藁を敷いた跡が見つかり、これが畳の原点ではないかと言われています。古事記に「管畳八重」「皮畳八重」、日本書紀に「八重席薦(やえむしろこも)」という記述も残されていて、畳は元々「たたむ」といった意味で奈良時代くらいまでは藁をムシロやコモ(ゴザのようなイメージ)に加工したものを折り返して重ねたりする移動式の敷物のような使い方をしていたそうです。
奈良~平安時代になると神殿造りが普及してきて、庶民はムシロやコモ、貴族は現在の構造に似た畳を座具や寝具として置くような使い方になり、使う人の身分によって畳の厚さやへりの色や柄が異なりました。
鎌倉~室町時代になると書院造が普及して部分的に置く「板敷スタイル」から床全体に敷き詰める「畳敷きスタイル」に変化していきました。畳は建物の床材として利用されるようになり、このころから現在の和室のようなお部屋ができ、畳を売る商人もこの頃から誕生したと言われています。
桃山時代~さらに江戸時代に至る中で数寄屋造りと茶道の発展、普及によって徐々に庶民の家にも畳が敷かれるようになったようですが、それでも身分による畳の制限の風習は残り、畳が一般のものになったのは江戸中期以降、農村などではさらに遅く明治時代になってからと言われています。
ちなみに現存する最古の畳は、東大寺の正倉院に保管されている「御床畳(ごしょうのたたみ)」で、奈良時代に聖武天皇が使用し、現在の畳の発祥と言われているものです。御床畳はムシロのような敷物を5~6枚重ねてコモをかぶせ、錦の縁を付けた厚手の敷物で、これを木製の台の上に2付並べてベッドのように使っていたそうです。
御床畳残欠
日本の伝統文化として
江戸時代、「畳奉行」という役職が誕生し、畳は幕府が買上げ製造や管理を行っていたそうです。また江戸の長屋では畳は大家が用意するものではなく、長屋を借りる店子が運び込んで使っており、それだけに畳を干したり、表替えをしたりと知恵と工夫で畳を長持ちさせる術を身に付けていったそうです。とても面白いですね。
また、それまではイ草は自然に生えていたものを使っていたそうですが、天下泰平の世となった江戸時代は農具や生産技術も向上し、次第に自給自足の農業から農産物を売買する余裕も生まれ、イ草の栽培や畳表の製織も盛んとなり、畳師や畳屋が登場し一気に普及していきました。
イ草は福岡、熊本、岡山、広島、高知などで主に栽培され、ピーク時には8000ヘクタール(東京ドーム1711個分)まで広がったそうですが、現在ではほとんど熊本だけで栽培され約450ヘクタールにまで減少しているそうです。
畳表の生産はピーク時で5500万畳あったそうですが、現在では200万畳を下回っているとのこと。
それでも畳の魅力や新たな発想で残していこうという職人さんも多くいらっしゃいます。様々なインテリアに加工したり、地道な努力で販路を海外へと広げ、「TATAMI」として注目を集めたり、「すごい畳」として四角形にとらわれず様々な形の型破りな畳を生み出している職人など尊敬すべき方がまだまだ多くいらっしゃいます。
日本のモノづくり文化も海外に押され、また次ぐ人間も減り・・・と言われていますが、我々も仕事人として変化に応じてどう残して発展させていくかという事を日々考えて行かなくてはなりません。私にもできることはないか、ふとまた考えるきっかけを与えてくれた畳のお話でした。